勝つこと=楽しいって本当?
本当に「勝つこと=楽しみ」なのでしょうか?
「勝つため」に人生を始めた瞬間からそれは「義務」として自分達に押しつけられているのではないでしょうか?
「勝負に勝ったら親やコーチや友達や嫁や子供が喜ぶ=褒められる=嬉しい=楽しい」という方程式は確かに成り立ちますが、
「他人が喜ぶ」から人生をするのならば、それはもう「義務」になってしまうのではないでしょうか?
「周囲に拘束されない自由な活動」であるはずの自分自身の人生!
子供達が勝手に遊んでいる姿を良く観察しているとそれが良く判ります。
遊びたくなったら勝手に遊び始め、飽きたら止める。実に単純明快です(^^;。
それが楽しければ続けるし楽しくなければいろいろ自分達でルールを作ったり、いきなり違う遊びに切り替えたり(^^;それこそ、大人の目で見ると「何をやっとんのじゃぁ」という感じです。
「やりたい事をやれる自由」と「止めたくなったら止められる自由」そして、「ルールを勝手に作れる自由」
全体主義的な部分があった方が東アジア人は生産性が上がるらしいから。リーダーや先生は活動の自由に対して「制約」を与えざるを得ません。
場所やや時間の制約もある中で人生しているのですから、そういった物理的な制約だってあります。
でも、「規律・制約」を守らせる為に【勝つ為に】という方便をまともに受けて手放せないでいると僕みたにうつ病や依存症になっちゃうよ。
自分自身を自由に遊ばせかつ、それが「勝ち」に繋がっているようなメニューを工夫する必要がリーダーにはあるのではないでしょうか?
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