すべての人生が素晴らしい
素晴らしいCMではあったが・・・
古巣リクルート社のポイントのCMだ。なるほど、躍動感のある、感動的な映像だ。
映像はマラソンのスタートから始まる。みんなが一斉に走りだす。「人生はマラソンだ」という朗読が始まる。
この段階で、十分感動的だ。
しかし、途中で、ランナーが、走るのをやめ、振り返り、こう問いかける。
「本当にそうか?」
彼は沿道に駆け込みダッシュする。
「誰が決めたコースなんだ」
「誰が決めたゴールなんだ」
と問いかける。
それをキッカケに、このマラソンは、カオスになる。みんなが様々な方向に走りだす。家に帰り寝るもの、旅に出る者、結婚式をあげるもの。
なるほど、映像はいちいち躍動感があるし、美しい。ナレーションも胸を打つものである。
「すべての人生が、すばらしい」
というメッセージと、主人公の
「誰だ人生をマラソンって言ったのは?」
というコメントで終わる。
しかし、その後で、「リクルートポイント始まる」という告知と、おなじみの「まだ、ここにない、出会い リクルート」というメッセージで終了する。
そうか、リクルートグループのCMだったのね、と。
よく見ると、みんなが走り出したのは旅や結婚式や同社がサービスを提供している領域だ。
素晴らしい映像であったが・・・・・
ただ、この美しいCM(なんでも、6コ下が作ったらしい)にケチをつけるつもりのではなく、この「すべての人生が、すばらしい」というメッセージの今日的意味を考えてほしい。
このCMで感動する人、私のように複雑な心境になる人などなど、反応は人によると思うのだけど、いったんそれはおいておいて、
「すべての人生が、すばらしい」というメッセージが発信され、共感を得ている人がいるということは、
「人生は、実は素晴らしくないんじゃないか」と思っている人や、
「人生は素晴らしいと思いたいけれど、今の自分の人生は素晴らしいとは思っていない」人がいるということなのだろう。
これが2014年の日本の現実。
一方、その解決策は多様な生き方なのだろうか❓
私も、豊かな社会とは、多様性と可能性がある社会なのだと信じている。そうなのだけど、
多様性と可能性により苦しんでいるのも現代なのではないだろうか。
「多様化」なるものが階級的な不平等を覆い隠し、平等が拡大したかのような錯覚を起こさせることである。
頑張ればなんとかなると、現実をトランスさせる。
情報があふれる時代、実現可能性をあまり考慮せずに多様な選択肢だけが提示される。自由なようで、そうではない。
走らされる方向が一方向から多方向になっただけなら余計に苦しくなるだけだ。
【すべての人生が素晴らしい】
そう言えるようになる為に大切なのは、自分の内にある多様な【すべての自分が素晴らしい】といえるようになる
内的コミュニケーション能力だ。と僕は思う。
とはいえこのCMはよくできている。
同社のCMとしては、僕がリクルートに胸を熱くした、88年のアポロ月面着陸映像の「情報が人を熱くする」に匹敵する!(^o^)
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