今日の【想書】〜生きるって よいことも わるいことも 引き受けること〜
昨日に引き続き平成21年頃の作品です。うつ病からようやく抜け出し
始めて詩画を描き出しました。まだまだ落ち込むことが多く苦しんでいた頃
この作品です。
苦から逃げるな!苦はけっしてわるいことではない!苦の中に楽があるんだ!そんなことを自分自身に言いたかったんだと思う。
とある高僧の法話でこんな話をお聞きしたことがある。
人が息をするのはなぜか?と高僧が参加者に訪ねた。
参加者の一人は、生きるためと答えた。
別の参加者は、きれいな空気を吸うためと答えた。
その高僧はこう言った。誰か2つ洗面器に水を入れて持ってきて。
先ほどの参加者に、洗面器に顔を付けるように言った。
2人は素直に洗面器に顔を付けた。しばらくして苦しくなって顔を上げた。
タオルで顔を拭き、高僧を見上げた。
高僧がもう一度、〜人はなぜ息をするのですか?と訪ねると
2人とも【苦しいからです】と答えた。
高僧は頷き、そう。人は苦しいから息をするんです。と言った。
例えば、〜カラスの脳では、快と不快しかありません。
極端に言えば、快(餌)と不快(天敵)しかありません。それで生きて行けるし
もし仮に、不快を感じることができないと、すぐに死んでしまうわけです。
ところが人間は、そこに大きな脳を使って
快はよいこと。不快はわるいことと言う情感たっぷりの物語をつくります。
快はよいこと。と言って甘いものを食べ糖尿病になったりしています。
不快はわるいこと。言って自分では怖さや悲しみを避けながら、
子供には挑戦しなさい。と言っています。
とその高僧が言っていました。
僕は苦しいことがあると、酒を飲んだり、酒をやめた後は甘いものを食べたりしているな。
食べるだけじゃなく、【こう考えれば楽になれる】って感じで、
苦に楽で蓋をしていたな〜と思いました。
悲しいことがあると、【あいつが悪い、自分は悪くない】って安易に楽になろ
うとしていたな〜って思いました。
苦がとっても苦しく感じるのは、目の前の苦の事実と、過去の未完了な感情が
結びついているから。
今ここの事実と過去の未完了な感情とを切り離し、
(やり方は幾つもあるので、遠慮なく相談してね)
苦しいから【息をする】と気付くように
目の前の苦に向き合うからこそ気付く【生きる実感】が
バーチャルなプラス思考では動かなかった
【現実】が動く力を創っていくのだと思う。
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